1993年生 ● 王子シューレ ● 「権利宣言」メンバー● 不登校=小6〜 ● シューレ在籍=中2〜20歳
不登校経験からシューレとの出会いまで
幼稚園の頃からちょこちょこ休むことがありました。みんなと一斉に同じことをこなすのが苦手で、「自分はダメな奴」と思わされることが多かったんです。その当時は漠然とした気持ちで、ストレスや疲れがある程度溜まっていくと、「学校に行きたくないな」と思いました。人間関係も苦手で、自分でもよくわからないうちに人から嫌われていたり、自分が人を傷つけてしまっていることがありました。
小学6年頃から継続的に欠席するように。中学には1学期は行ったけれど、秋からまた行けなくなりました。小6の時は、身体的には問題なかったけれど、中1では、朝起きれず、眠く体が重い、外出する気力がない状況でした。母も父もなんとか学校に行かせようとしていたけれど、不登校前から関わっていた心療内科の先生が「しばらくは休んでいいのでは」と話してくれ、若干対応がゆるくなりました。
それからしばらくは自宅で過ごしていましたが、「このままじゃいけない」という焦りや、所属がないことへの不安から行動を起こさなきゃという気持ちが強くなり、父がシューレを調べてきてくれました。私は基本的に一人で過ごすことが好きだから、それを確保できる場所である必要がありました。
シューレはまったく騒がしくないわけではないけれど、自分に対して入り込んできたり押しつけられてきたりする危機感は感じませんでした。自分の大事にしたいことを尊重してくれそうだと思ったのです。
九州合宿が全ての活動の原点だった
シューレの活動の中で一番印象に残っているのは九州合宿です。九州合宿に行っていなかったら、その後のイベントへの参加をやろうとは思わなかったかもしれません。一つの合宿に行く行かないということが、こんなにその後の活動に影響を与えるのかと思います。その後も、アラスカプロジェクトやその他のイベントの実行委員会にアクティブに参加しますが、それらと九州合宿との違いは、一緒にいたメンバーとの出会いでした。
あのメンバーで行ったから、特別な企画になった。ほとんどのメンバーが自分とほぼ同時期にシューレに入ってきたということもあり、とても過ごしやすく、のびのびと参加することができたし、自信も得られました。
九州合宿他、様々な活動に参加する中で、入会当初は「来なきゃ」という思いがあったけれど、仲間に会いたいという思いもあって、だんだんと自主的に行きたいと思える場所になりました。シューレにはいろいろな価値観があって、やりたいことを大切にしてくれる場所であり、一人の人間として聴いてもらえる。そして、仲間と出会えた場所でした。
今の「わたし」とシューレとの関わり
私は、幼稚園の頃からずっと「自分はダメな奴なんだ」という思いを積み重ねてきました。シューレに来て初めて、自分はできないこともあるけれど、好きなことや得意なこともあるし、こんな自分でもいいのかなと思えるようになりました。シューレという場所に居るだけで、誰かが側に居てくれた。
でも、根っこの部分には、長く積み重ねられてきた「自分はダメな奴」という感覚がまだどっしりと横たわっていることをシューレを退会した後、改めて感じさせられています。
私は今、作成に携わった「不登校の子どもの権利宣言を広めるネットワーク」の活動にメンバーとして参加しています。
この活動に参加することで、シューレにいた頃に感じていた自己肯定感の感覚を思い出そうとしているのかもしれません。それほど「私は私のままでいい」とそのままの自分で生きていくのは、今の社会はとても難しいのかなと感じています。